3B
フィリピンの三大人気スポーツを3Bというのをご存知でしょうか。
ボクシング、バスケット、ビリヤードですね。
中でもビリヤードは若者から年配まで幅広く、息の長い人気スポーツ。
今日のアサヒコムに、興味深いコラムがあったのでご紹介します。
——————————————-
貧しさが育てた強さ ビリヤード―フィリピン 国技
2007年07月24日 asahi.com
■王者も素人も同じ台
首まわりと袖口が伸びきったTシャツ、ずり落ちそうなズボン。
ぼさぼさの髪でふらりとやってきたその人が、ビリヤードの世界王者にしてフィリピンの国民的英雄、エフレン・レイエス選手(52)だった。
マニラ市マビニ通りのビリヤード場。もちろんだれもが「魔術師・エフレン」を知っている。
けれど近寄りがたい雰囲気などみじんもなく、誰彼となく談笑する姿は、まるで近所のおじさんだ。
「ビリヤードはここでは貧者のゲーム。エフレン自身も貧しい家に生まれ、王者になった。だからみんな彼が好きなんだ」。
フィリピンのビリヤード界を30年以上見続けるジャーナリストのロニー・ナサニエルスさん(71)が言う。
レイエス選手はルソン島中部パンパンガ州出身。
日本では「レイズ」と呼ばれることが多い。
5歳の時、出稼ぎのために父親についてマニラに移住した。
そこで小さなビリヤード場を開いていたおじに出会う。
初めてキュー(棒)を握ったのは8歳。
ビリヤード台をやっとのぞけるほどの背丈で、コカ・コーラのケースを踏み台にした。
商売をじゃましないよう、店が始まる前と、終わった後の未明に球を突いた。
疲れると台の上で眠った。
12歳になると腕を上げ、賭け金を稼ぐようになった。
「バタ(ちびっ子)・レイエス」と評判になり、専属のマネジャーがついて彼のための賭け試合を取り仕切った。
「金を稼げるのがおもしろかった。スポーツだなんて知らなかったし、プロになろうとは考えてなかった」と、レイエス選手。
稼いだ金を父に渡すのが誇らしく、うれしかった。
レイエス少年が寝泊まりしたビリヤード場「ラッキー13」は、今もマニラ市キアポ地区にある。
エアコンが利かない古い雑居ビルの一室は、常連客でむせかえるような暑さだった。
ゲーム代は10ペソ(26円)。
仲間内で1ゲーム数百ペソの賭けをし、日銭を稼ぐ。
1日で1000ペソ(2600円)以上になることもある。
「一文なしで来ても、台の掃除ぐらいすればゲームをやらせてもらえる。ゴルフじゃ、こうはいかない」。
安くて、だれでもできて、大好きな賭け事もできる。
だから庶民に広まった、と常連の男性(61)は言う。
■海外プロも武者修行に
フィリピンの人気スポーツは「3B」と呼ばれる。
ナサニエルスさんによると、ボクシング、バスケット、ビリヤードだ。
いずれも、植民地支配を受けた米国文化の影響が色濃い。
ただ、日本ビリヤード協会によると、ビリヤードのうち、台のポケットに球を入れる「ポケットビリヤード」は台湾、フィリピン、日本などアジアが世界をリードしてきた。
娯楽として浸透する一方、競技スポーツとして定着。
「アジアの五輪」と言われるアジア競技大会でも、98年から正式種目に採用された。
フィリピンでビリヤード人気に拍車をかけたのが99年、テレビ中継された世界選手権だったという。
この大会でレイエス選手が優勝し、町にビリヤード場がどっと増えた。
02年には、まったく違うドラマが生まれた。
英国で開かれた世界選手権。
出場したブスタマンテ選手を悲劇が襲った。
試合中、1歳にもならないまな娘がフィリピンで死亡。
悲しみをこらえて勝ち進む姿が中継され、人々は夢中になった。
ブスタマンテ選手は決勝で敗れるが、国民的スターとなった。
欧米選手さえしのぐ実力と、温かく人間味のあるスターたち。
この国でビリヤードが愛される理由だ。
ここでは、だれに教わるともなく、見て覚える。
だからフィリピン人の技は独創的といわれる。
レイエス選手が「魔術師」と呼ばれるのも、教科書通りではない予想外のショットを繰り出すからだ。
そんな独特の環境で腕を磨こうと、台湾や中東からもプロ選手がマニラに修業に来る。
埼玉県騎西町の井上直美さん(28)もその一人。
03年にプロになり、06年には国内で立て続けに優勝した。
順調に駆け上がってきたが、ふと勝てなくなるのが怖くなった。
もっと自信が欲しい。
その時、以前訪ねたフィリピンを思った。
レイエス選手らの、日本人とは違う強さはどこから来るのか知りたくなった。
マニラでビリヤード場「ワンサイド」を開く岡山県出身の浅生桂一さん(46)を頼り、今年3月に渡比。
毎日、明け方まで球を突く生活を始めた。
「生活のために球突きをしてきた人がほとんど。真剣勝負で技を磨いてきたからプレッシャーに強い」と井上さん。
フィリピン人の素人プレーヤーには、よくスポンサーがつく。
1ゲーム数千から数万ペソを賭け、その3割程度がプレーヤーの取り分。
仲間内のマネーゲームでも真剣で、スポンサーも勝てる相手でなければゲームをさせない。
逆に、腕さえよければそれで暮らせる。
世界のトップから、明日の食いぶちを稼ぐ市井のプレーヤーまでが同じ台で球を突く。
「貧しさ」が育てたフィリピン・ビリヤード。その個性が世界で光り始めた。




