フィリピン版「トリビアの泉」
昨日、巨人軍が達成した記録の裏話です。
驚きであり、切ない話です。
巨人ファンとして、或いはプロ野球ファンとして、日本人として、またフィリピンを愛する者としても複雑な気持ちです。
プロ野球史上初!巨人満塁200号
2007年06月14日 19:34
巨人は14日の交流戦、オリックス4回戦(スカイマーク)の初回、
阿部が13号満塁本塁打を放ち、プロ野球史上初のチーム通算200満塁本塁打を達成した。
巨人の1号満塁本塁打は、1939年8月24日の金鯱8回戦(後楽園)の6回にフィリピン出身のリベラが記録している。
阿部は1死満塁で平野佳から右翼席に運んだ。
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フィリピン版「トリビアの泉」
【アチラノ・リベラ(1939):<メジャー経験なし> 日本プロ野球史上ただ一人のフィリピン出身の選手。
戦前、この選手が巨人で5番を打っていたことを知る人は少ない。
1939年1月に、巨人はマニラ遠征に出かけたが、そこで豪腕スタルヒンを苦もなく打ち崩したのがこのリベラである。
巨人は、このマニラ税関チームの主将の打棒に惚れ込み、入団させた。
リベラはほぼ期待通りの打撃を見せ、4番中島冶康の後の5番に座って、6ホーマーを放った。
戦前のプロ野球でシーズン6本は多いほうである。
のみならず、リベラは、巨人球団史上初の満塁本塁打を打った選手でもある(8月24日)。
11月3日には、セネタース戦で決勝二塁打を放ち、中尾碩志のノーヒットノーランのお膳立てをした。
結局、リベラはこの年限りで帰国し、その後は消息不明となった。
それから28年後・・・1967年にリベラの娘2人が、ユニバシアード東京大会にバレーボールの選手として来日する。
戦前にリベラ夫人の友人だった人が、このことを知って、戦前のジャイアンツ関係者に連絡をする。
しかし皆の反応は冷たく、彼女たちに会って「戦前、お父さんは東京巨人軍によく尽くしてくれました」と言ったのは川上哲治氏ただ一人だった。
川上氏らが彼女たちから聞いた話によると、リベラはすでに太平洋戦争の只中で戦死していた。
しかし、伝えられていたのは、「フィリピンを日本軍が占領していた間、通訳として働き、戦後、フィリピン軍によって死刑に処せられた」という悲話だったが、彼女たちの語る真実はそうではなかった。
リベラは、フィリピン帰国後、再び祖国の有能な税関吏として働いていたが、そのあと兵役につき、最後は日本兵によって殺されたというのである。
彼にとって、日本でプレーした1年はどんな思い出であったのか。
そして、それが良い思い出であってほしいと願う反面、もし良い思い出であったとしたなら、その国の兵隊と戦い、最後には殺されたのだとすると、想像するのも辛い話である。




